2001/4/29
東京ランナーズ倶楽部“第三の女”
吉松が5000mで自己新3位


 女子5000mに15分34秒49の自己新で3位に入ったのは、東京ランナーズ倶楽部の吉松久恵(東京陸協)だった。全国規模のトラックでは、久しぶりに上位に食い込んだ。
 97年京都インターハイ女子3000m4位の吉松が、長期スパンでの選手育成を標榜する東京ランナーズ倶楽部の門を叩いたのが、翌98年4月。同クラブ3人目の所属選手となった。
 当時すでに、同じ山口出身で第一期生の市川良子は、アトランタ五輪代表の肩書きを持っていたし、2期生の市橋有里も、翌99年にはセビリア世界選手権マラソンで銀メダル。“市市コンビ”はともに、シドニー五輪にも出場した。
 吉松にも当初、先輩2人と同様つくはずだったスポンサーがみつからず、また、競技面でも先輩2人の同年齢時と比べると見劣りがした。
 だが、「スポンサーの話は私はよく知りませんし、つかなくてもそれは私が弱いだけのこと。そんな選手が走らせてもらっているだけでも嬉しかった。それに、先輩2人と比べて焦ることはまったくなかったです。浜田コーチもそのことは、何もおっしゃりませんし」と、まったく焦りはなかったという。強いて言えば「2人が合宿で自分だけ東京に残ったときに、ポイント練習で本当に追い込めていたかどうか」と言う点だけが、不安材料だった。
 吉松が先輩2人と違うのは、大学に通っている点だ。現在、日本女子大の4年生。授業の数は減ってきているが、卒論にもそろそろ本格的に取り組まなければいけない。インターハイや高校駅伝という、その世代の目標となる大会に出ないことで、長期展望の取り組みを可能としているのが東京ランナーズ倶楽部だ。当然、インカレにも出場していないが、今回の吉松の記録は、学生の中に入れば当然トップクラスだ。
 オリンピック選手と寝食を共にし、しかも卒論に取り組んでいる学生選手というのは、日本に何人いるだろうか。