2002/1/2
箱根駅伝2区のビックリデータ公開
過去最多人数を大幅更新
区間1位から1分以内に8人
回数 西暦 区間1位 区間1位
選手
大学 1分差以内
選手最低
人数 〜1.09.59.
の選手数
〜1.08.59.
の選手数
〜1.07.59.
の選手数
〜1.06.59.
の選手数
区間2位 タイム差 2位選手 2位選手
大学
78 2002 1.08.35. 原田正彦 早大 1.09.31. 8 9 3         0.00.
78 2002 1.08.35. O・モカンバ 山梨学大 1.09.31. 8 9 3         0.00.
77 2001 1.07.43. J・カーニー 平成国大 なし 0 4 2 1    1.09.34. 1.50. 徳本一善 法大
76 2000 1.08.16. 坪田智夫 法大 1.09.04. 3 5 3       1.08.51. 0.35. 神屋伸行 駒大
75 1999 1.06.46. 三代直樹 順大 なし 0 6 2 1 1 1.08.29. 1.43. 佐藤裕之 駒大
74 1998 1.07.48. 梅木蔵雄 早大 1.08.43. 3 6 4 1 1.08.12. 0.24. 藤田敦史 駒大
73 1997 1.11.00. 中村祐二 山梨学大 なし 0             1.12.08. 1.08. 市川大輔 神奈川大
72 1996 1.06.54. 渡辺康幸 早大 なし 0 6 2    1 1.08.29. 1.35. 松田和宏 中大
71 1995 1.06.48. 渡辺康幸 早大 1.07.20. 1 7 4 2 1 1.07.20. 0.32. S・マヤカ 山梨学大
70 1994 1.07.34. S・マヤカ 山梨学大 1.08.14. 2 4 3 1    1.08.05. 0.31. 本川一美 順大
69 1993 1.08.26. S・マヤカ 山梨学大 1.08.48. 1 3 2    1.08.48. 0.22. 渡辺康幸 早大
68 1992 1.08.07. 本川一美 順大 なし 0 2 1       1.09.11. 1.04. J・オツオリ 山梨学大
67 1991 1.08.40. J・オツオリ 山梨学大 1.09.17. 2 4 2    1.08.54. 0.14. 進藤吉紀 明大
66 1990 1.08.18. J・オツオリ 山梨学大 1.09.03. 2 3 2       1.08.32. 0.14. 池田克美 早大
65 1989 1.08.23. J・オツオリ 山梨学大 なし 0 1 1    1.10.03. 1.40. 池田克美 早大
64 1988 1.09.57. 楜沢俊明 中大 1.10.43. 2 1          1.10.00. 0.03. 鈴木賢一 順大
63 1987 1.08.38. 只隈伸也 大東大 1.09.31. 1 3 1    1.09.31. 0.53. 鈴木尚人 日体大
62 1986 1.10.00. 大八木弘明 駒大 1.10.30. 2             1.10.02. 0.02. 鈴木尚人 日体大
61 1985 1.08.55. 渋谷俊浩 筑波大 1.09.44. 2 3 1    1.09.06. 0.11. 遠藤 司 早大
60 1984 1.08.34. 米重修一 大東大 1.08.56. 1 4 2       1.08.56. 0.22. 坂口 泰 早大
59 1983 1.07.34. 大塚正美 日体大 1.08.10. 1 4 2 1    1.08.10. 0.36. 米重修一 大東大

 このデータを調べるきっかけは、神屋伸行(駒大)の区間9位という順位だった。「これまで必ず区間3位以内の走りをしてきた」という選手が、ケガがあったとはいえ、区間下位に落ちてしまった。だが、区間1位とのタイム差は、そんなになかったはずである。

 今大会の1区が稀にみるスローペースとなり、区間1位と区間15位の差が大会史上最僅少の45秒となった。2番目の僅少差が1980年大会の1分39秒差ということからも、今大会がいかに凄まじい混戦だったのかがわかる。
 1区もすごかったが、レースを見ていた方は、2区もすごい混戦だったことがおわかりだろう。13位でタスキを受けた駒大・神屋伸行が12位でスタートした亜大・前田和之とともに先行していた選手たちを引き連れて、トップを追い上げた。その結果、10km手前で先頭集団は11人という人数にふくれあがる事態に。神屋は27秒先に中継した順大に追いついたわけであるが、そのため10kmを28分50秒台で突っ込んだ。
 神屋本人は「徳本や岩水は28分40秒くらいで入るだろうから、自分は29分00秒くらいのつもりでいた」と、レース翌日に話している。本日発売の「スポーツ・ヤァ!」(角川書店)の記事に書いたことだが、大八木コーチはやや速すぎる入りと、神屋のレースを評した。
 しかし、10.6km付近で前田がペースアップすると、神屋は腰を痛め、それ以降の走りを苦しむことに(このあたりも詳細はスポーツ・ヤァ!をご覧ください)。

 それでも、神屋は1時間9分31秒でなんとかまとめ、トップの山梨学大とも1分19秒の差にとどめた。区間1位のモカンバ(山梨学大)と原田(早大)とは56秒差にとどめたのである。にもかかわらず、区間9位。ここで、「えっ!?」と思った。
 区間賞と1分も差がないのに区間9位――2区は距離は最長でも各校のエースが集まり、その結果差がつきにくいのでは、と考えがちだが、実は2分3分と差がつくのは当たり前の区間なのである。という認識があったが、念のため、現行の23.0kmの距離になった1983年以降を調べてみた。その結果が上の表である。

 一目瞭然だ。過去、区間1位と1分以内の人数が最多だったのは、98年大会と2000年大会の3人である。98年は区間賞の梅木(早大→中国電力)以下、藤田(駒大→富士通)、三代(順大→富士通)、山本(日大→旭化成)。2000年は坪田(法大→コニカ)以下神屋、高橋謙介(順大→トヨタ自動車)、佐藤敦之(早大→中国電力)。ともに、その後の活躍を見ても充実したメンバーといえる。
 反対に、三代が区間新をマークした99年は、区間2位の佐藤裕之(駒大→NEC)を1分43秒も離している。
 1分以内が0人というケースも珍しくないのが2区なのである。そのような区間で8人が1分以内というのは驚天動地……というとオーバーだが、とにかく現行コースになって20回で初めて、過去最多人数を5人も上回っているのだ。

 考えられる原因は以下の4つ。
1)1区の1〜15位が史上最僅少差だったこと
2)有力選手のケガ(徳本&神屋)や欠場(岩水)
3)上述のようなレース展開
4)各選手の力の差が縮まったこと
 あと1つ、単にたまたまそうなった、ということも考えられないではない。スポーツ記事では“たまたま”という結論はないらしいが、寺田のWEBサイトではありである。
 たぶん、1)〜4)の理由が複雑に重なって、神屋自身が「中学以来」という区間9位になってしまったわけである。とにかく、驚かされた今年の2区だった。