ユーロ取材帰国スペシャル
迷いか、不調か、単なる読み違いか?
「得意のはずのヨーロッパ」で為末大苦戦

◆1◆2001年と2002年の違い
48秒38〜48秒86の昨年に対し、今年は48秒88〜49秒22

 世界選手権銅メダリスト・為末大(大阪ガス)は昨年、日本選手権と世界選手権の間にヨーロッパで4試合を転戦した。

2001/6/29 GLローマ       イタリア    48.78
2001/7/2   GPUザグレブ   クロアチア  48.57
2001/7/4  GPTローザンヌ  スイス     48.38
2001/7/6   GLサンドニ     フランス    48.86

 48秒38の自己新(学生新)という記録的な収穫だけでなく、技術的・感覚的な収穫もあった。
「あらかじめ置かれている物(=ハードル)を“またぐ”のでなく、向かってくる物を“かわす”感じ。それも、シドニー五輪後にヨーロッパを転戦してつかんだ感覚です。それで僕の場合、普通に走っていくのとハードルを跳んでいくのと、そんなにタイムが変わらないのだと思います」(大阪市体育振興教会WEBサイトより)と、話していたことがある。「必ずしも練習ができなくても、レースで走るコツをつかんだ。練習のための練習ではなく、レースのための練習がわかってきた」のも、その頃だった。
 今年は「昨年(世界選手権準決勝で48秒10、決勝で47秒89と日本新を連発)のような一発は出ないが、アベレージを上げる年にしたい」と話していた為末。昨年のヨーロッパ遠征では学生新を出しているが、それは1試合のみ。強いて言うならアベレージを上げたのがこの時期のヨーロッパ遠征で、それを世界選手権の“一発”につなげた。今年のヨーロッパでも、やろうとしていることは(表面的には)同じはずだった。ところが……。

2002/6/26 ルッツェルン国際 5位・47秒27(400 m)
2002/7/2  GPローザンヌ  7位・49秒01(B組2位)
2002/7/5  GLパリ     6位・48秒88
2002/7/8  GPUザグレブ  3位・48秒91
2002/7/12 GLローマ    8位・49秒22

 まだ、モナコGL(7/19)を残しているので結論づけることはできないが、所期の目的は達成できていないと言わざるを得ないし、為末も「今年の遠征は失敗です」と、それを認めている。

◆2◆続いた疑問コメントの数々
「去年は49秒なんか楽勝だったのに…」

 為末のレース後に発した言葉にも、迷いが現れている。いや、迷いというのとはちょっと違う。自身の走りへの疑問というべきか。昨年は、記録を予想するとだいたい当たっていたが、今年はことごとく外れている。そういった諸々の思いが、ミックスドゾーンで聞くことができた。
「ゴールしたときは48秒5くらいだと思いました。なんでだろ?」
「去年のチューリッヒ(8月・48秒86)くらいですけど、そんなに失敗したかな?」
「得意のはずのヨーロッパなのに…」
「それにしても、よくなかった」
 以上は、ローザンヌで走り終わった直後のコメントだ。パリでは多少納得ずくのレースだった部分もあり(詳しくは後述)、疑問形の言葉は聞かれなかった。それでも、意識してやったこととはいえ「変てこりんなレースだった」と振り返った。
 ローマでは、再度49秒台に逆戻り。
「去年は49秒なんか楽勝だったのに…」
 技術的な部分も予定通りにいっていなかった。
「日本選手権でいけるだろうと思って、ハードル練習をしなかった(のがいけなかった)」(ローザンヌ)
「身体がまだ、400 mHに向いていない」(ローザンヌ)
「6〜8台目が、息継ぎしたようにアップアップ。8台目までを上手く乗せられれば、最後までひどいレースにはならないんですが」(ローザンヌ)
「9台目から意識が切れました。コントロールがきかなくなって…」(ローマ)
「体力でここまでタイムが落ちることはないでしょう。テクニックがどこか狂っている」(ローマ)
 ローマではウォーミングアップ中に、すれ違った朝原宣治(大阪ガス)に対して「48秒5」と宣言した。大阪ガスのこのコンビはよく、レース前に自分の状態から記録を予想し合っている。日本選手権前の金沢での合宿中も、朝原は自分の状態から10秒0台が出ることを口にしていたという。為末が昨年のことを振り返ったコメント(「だいたい予想通りのタイムが出た」)を聞く限り、ローマで自分の読みより0.7秒も違ったのは、かなりのショックだったと思って間違いなさそうだ。
 ただ、こうしてコメントを列挙したものを読むと、ものすごく苦悩しているようにも感じられる。実際に為末がどのくらい苦しんでいたかは、第三者には推し量りようがないが、少なくとも表情に悲壮感はなかった。
「観客が多いこともありますが、楽しいと感じている気持ちが強すぎて、満足感を感じてしまっています」
 技術的な狂いや記録が出ないことで苦しんではいるが、ヨーロッパ遠征自体は楽しんでいる……と、結論づけていいのかどうか、ちょっと自信がない。上記コメントは400 mH初戦のローザンヌのものなので、その後の結果でどう為末自身が感じているか…。そのあたりはいずれ、彼自身が文章にしてくれるのを待とうと思う。

◆3◆前半型を微調整してみたが…
「極端な前半型」から「前半を意識的に遅くしました」に

 ローザンヌのレース後、今年の特徴として「昨年よりもさらに極端な前半型にしている」と説明してくれた。
「馬力は上がっているはずなんです。バネがきいた走りっていうか。ヨーイドンから5歩くらいで上げる部分です。トレーニング自体がそうなっていますから。パフ・コーチ(朝原の留学先の米国人コーチ)のとこの練習もそうでした。400 mハードラーの中でたぶん、最初の20mでは一番余裕を持っている(スピードを出しても余裕がある)と思うんですよ。それが絶対的な武器になると考えています。そこでギアを(一気にトップに)入れて、あとはニュートラルで(前半は)持たせようという走り。でも、それがまだ1周(400 m)につながっていません」
 それが、3日後のパリでは次のように変わっていた。
「今日はへんてこりんなレースでしたね。前半を意識的に遅くしたんです。2〜3台目でフェリックス(・サンチェス)に行かれているのがわかりました。理想のレースパターンを1回壊して、別の方向からも攻めてみたんです。去年だったら絶対、前半型を譲らなかったと思うんですが、今年はどんなことをしても、グランプリ・ファイナルに出たい。タンクが切れちゃいそうで“前半型を貫けない”、という判断もあって、アップのときに決めました。雨も降っていましたし、ここはローザンヌほどファストトラックじゃありませんし」
 この走りは3日後のザグレブ、その4日後のローマでも試みている。ローマでは次のようにレースを振り返った。
「今日も前半行っていますが、去年と違って1周を(走りきることを)考えての前半です。パリ、ザグレブと同じです。そう考えているのに、前半(スピードが)出ていたかもしれません。でも、それだったら(前半は)1番で行っていないといけないし(寺田注:ローマのサンチェスの前半はかなり速かったように感じた)。それでいて、9台目でコントロールがきかなくなってしまった。エネルギー切れですが、どこかで無駄づかいをしているわけです。ニュートラルにするのと一緒にブレーキも踏んでしまっている感じですね」
 参考までに、去年の世界選手権と、今回のローザンヌとローマのタッチダウンタイムを紹介する。風向きやトラックとの相性、対戦相手やレーンによって0.1〜0.3秒は変わってくるものなので、あくまで参考にとどめてほしい(ちなみに、どちらもビデオから計測したものなので精度はかなり高い。ローザンヌの2台目は、前の人間が立ち上がったために計測できなかった)。
 とはいえ、ローザンヌとローマはほぼ同じ。為末自身が気にしていたように、ローザンヌの方が前半でいっているはずののだが。このあたりは、レースを重ねるうちに「400 mH向き」に研ぎすまされていった結果だろうか。

2002 ローマ 2002 ローザンヌ 01Wch 01Wch
5.7 5.7 5.8 5.8 1台目 5.6 5.6 5.64 5.64
9.4 3.7 2 〃 9.3 3.7 9.28 3.64
13.3 3.9 13.3 3 〃 13.1 3.8 13.10 3.82
17.2 3.9 17.3 4.0 4 〃 17.1 4.0 16.88 3.78
21.2 4.0 21.2 4.0 5 〃 21.1 4.0 20.78 3.90
25.4 4.2 25.4 4.2 6 〃 25.1 4.0 24.89 4.11
29.7 4.3 29.7 4.3 7 〃 29.3 4.2 28.96 4.07
34.1 4.4 34.1 4.4 8 〃 33.6 4.3 33.22 4.26
38.9 4.8 38.8 4.7 9 〃 38.1 4.5 37.71 4.49
43.7 4.8 43.6 4.8 10 〃 42.7 4.6 42.41 4.70
49.22 5.52 49.01 5.41 フィニッシュ 48.10 5.40 47.89 5.48
*1 *2 *3 *4
*1・2 現地で撮影したビデオから寺田計測
*3 陸マガ計測
*4 主催者計測


◆4◆されどグランプリ、されどヨーロッパ
 日本のマスコミはすぐに、技術的なことや内面的なことを選手から聞き出そうとする(かつての寺田も、そうだったような気が…)。だが、選手にしてみれば、まずは目の前に倒すべき相手がいる。グランプリでいえば、順位に応じて賞金も違ってくれば、獲得ポイントも違ってくる。眼前にあるのは、生身の人間なのである。
 競技後の第一声で自分のその日の技術がどうだったかを振り返る選手も、それなりの数がいるように思う。朝原はその代表格の選手。パリで走りが崩れて8位になったとき、取材の最後で「ビリにならなくてよかった。0点にならなかったから」と漏らした。パリのサンドニ・スタジアムは9レーン。そしてゴールデンリーグの場合、8位は4点(9位はもちろん0点)。朝原もまた、グランプリ・ファイナルへの出場を熱望しているのだ。
 正直言って意外な感じを受けた。こちらの意識が“9秒台”と“テクニック”にばかり向いていたせいもあるかもしれないが、「これはグランプリなんだ」と、ヨーロッパ取材中に最も感じた瞬間だった。
 為末にとってもそれは同じこと。どの大会でも、自分の走りを振り返るのと同時に、グランプリ・ポイントの途中経過を気にしていた。そのコメントを以下に紹介する。
「やっぱり、サイクルってあるのかもしれません。フェリックス(サンチェス)はともかく、去年よかったモーリ(伊)、僕、ハジ(ソマイリー・サウジ)が総崩れでしょう。代わりにクリス(ローリンソン・英)、カーター(米)なんかがいい。ハーバート(南ア)もでかくなっていますね、特に背中が。奴らは2年ごと(グランプリ種目になるのは2年に1回)に生活がかかってきますからね」(ローザンヌ)
「上3人(サンチェス、ローリンソン、ディアガナ)はどうしようもないですね。残りはなんとかなると思います。今回もハーバートとハジのいないので、そのときそのときで順位はなんとかしていこうと思います」(パリ)
「8番も5番も大差ないと思いますが、4番以上を取ろうと思ったら大変です。3〜4番で切れるっていうか、その上が突出してレベルが高くなっています。賞金が100万円を超えますから、3番以内になることが大事になってきます。フェリックスがうまくやってますよね。小さい試合はあんまり出ず、出ても400 mで、ゴールデンリーグを全部勝とうと思っているんじゃないですかね。後半戦がやばくなってきました。(ポイントの途中経過が)今でも7番ですから、これで8〜9番に落ちたら…」(ローマ)
 為末はこう話していたが、実際のローマ終了時の途中経過は以下の通り。
1 Sanchez Felix DOM 3 36.0
1 Carter James USA 6 36.0
3 Thomas Eric USA 5 30.0
4 Woody Joey USA 4 25.0
5 Mori Fabrizio ITA 3 23.0
5 Rawlinson Christopher GBR 3 23.0
5 Al-Somaily Hadi Soua'an KSA 4 23.0
5 Tamesue Dai JPN 6 23.0
9 Weakley Ian JAM 3 18.0
10 Diagana Stephane FRA 2 16.0
11 Taylor Angelo USA 2 10.0
 5位に4選手が並んでいるのだ。パリの走りを見る限り、今後ディアガナあたりが得点を伸ばしてきそうな感じもする。パリでレースパターンを変えたとき「モナコ(19日)だけは前半から行きます。全部、勝負するのは厳しいですけど、1回は狙っていきたい」と話していた為末。モナコもゴールデンリーグなのでポイントが大きい。そこで3位以内となれば、混戦からちょっとは抜け出すことも可能となる。
 自分の走り自体に狂いが生じている中で、グランプリのポイント争いでも混戦の真っ只中。ある意味、厳しい状況に追い込まれているわけだが、その状況に充実感を覚えている。
「リーチをかけられていますけど、なんとか逃げようという状況。カッコイイものではなくて、あるもの、あるもので必死につないでいます(寺田注:走りの技術的なことか、試合を連戦することか確認し損ないました)。そんな状態でも、試合に出られるのはありがたいことだと思っています」
 ローザンヌのレース後に「楽しい感じが強すぎて満足感を覚えてしまっています。日本選手が(千葉佳裕=富士通=と)2人出られたのも嬉しいですね」と話していたことはすでに紹介した。パリでも「毎試合苦労していますが、なんとかつないでいます。でも、面白いです。こんなにお客さんが入るのって日本じゃあり得ませんから」と、感慨深そうに話していた。ローマでは「こっちにいることに抵抗はなくなりました」とも。
 実際はどうなのかわからないと書いたが、こうして為末のコメントを振り返ってみると、やはり楽しんでいるように思う。苦戦はしていても、やっぱりグランプリに出ることは素晴らしいことだし、ヨーロッパはいい。

◆5◆されど走りは……。そして記事執筆が遅れた理由とは
 ローマのレース後、ビデオを見た為末は以下のように自己分析した。
「全体的にバネっていません。ヌルヌルヌルと歩いているみたいです。瞬間しか頑張らないのに(寺田注:ややわかりにくい表現ですが、そのまま記載)、ヨイショっていうかんじになっちゃっています。調子が悪いとこうなるんですが、普通は練習でしかならないことなんです」
 表情や話しぶりがいつもと変わらないだけに判断がしづらいのだが、やっぱり走りについての苦悩は深いと思わざるを得ない。微妙な調整とはいえ、あれほど前半から飛ばすことにこだわった為末が、その前半を抑える走りをしているのである。昨年同時期のヨーロッパ遠征と比較しても、比べものにならないくらいに苦しんでいるに違いない。

 為末の記事を書くのが遅れたのは取材した当方が、今回のヨーロッパ遠征をどんな視点で書いていいのか、迷いが生じたからだ。結果が出たときの方が記事は書きやすい。記事の大半はそういった場合だから書き慣れてもいる。今回の為末のように、失敗したケースはどこにスポットを当てたらいいのか、そう簡単には決められないし、説明不足になってはいけないので分量も長くなる(いつもか)。
 それに、結果が出なかったときに掲載できるメディアは少ない。とはいえ、今回の為末のように、大成功をした翌年の苦戦というのも、記事として残しておく必要というか、そうするのも面白いと思った。何より、為末の話は面白い。これまで取材してきた蓄積もあるが、今回の記事のほとんどは、レース直後のミックスドゾーンで取材した内容を基に構成した。このサイト全体のコンセプトでもあるが、寺田が面白いと感じたことを、1人占めしてしまったらもったいない。記録が出なくても陸上競技は面白いのだということを、1人でも多くの人に知ってもらって陸上界が盛り上がれば、ヨーロッパまで行った甲斐があるというもの。

 こちらの話になってしまったが、一番は為末選手自身がこの苦しみを、来年あるいは何年後かに「2002年のヨーロッパで苦しんだからこそ、今がある」と振り返ることができるようになればいいな、と取材した側は感じる次第。

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