2002/7/5 パリ・ゴールデンリーグ
特集 パリの日本人
1人目・福士加代子

「パリ・ジェンヌになったつもりで、ルンルン気分で走りました」

 “福士語録”なる言い方が、一部ファン・関係者の間で定着している。一見、本気とも冗談とも見分けがつかない、彼女独特の表現がなんともいえない味を出しているのだ。4月の兵庫リレーカーニバルで優勝した際に、「(ラストが強くなっているのは)クロカンの成果が出ているかもしれません。今日もラストは、世界クロカンが競馬場で行われたのでそれを思い出して、“馬だ馬だ”とイメージして走りました」と、話したのが“福士語録”というカテゴリーが定着する決定打だったかもしれない。
 パリ・ゴールデンリーグに出場するに際して、何をイメージしたか聞いてみた。
「ホテルが空港の近くで、練習場も何もないところだったので、サンドニに来たときは“やっとパリらしいところに来た”と思いました。パリ・ジェンヌになったつもりで、ルンルン気分で走りました」
 サブトラックでは、乗りのいい音楽がスピーカーから流れていた。福士は青森県出身。普段のレース前は吉田兄弟の“津軽三味線”を聞いてリラックスしているが、この日はパリの最新流行ミュージックがフィットした。セーヌ川の滑らかな水面(みなも)をイメージして、脚の運びの参考にした。それらが功を奏したのか、福士はレース前に落ちつくことができたし、ある意味開き直れたという。
 ラビットの1000mの入りは2分49秒の設定だった。このペースで入るのはさすがに速過ぎるのではないかと思われたが、「突っ込んでしまえ、っていう感じです。ラビットが(引っ張り方を)失敗するかもしれないと思っていましたし」と、臆するところはなかった。怖いもの知らずというか、プラス思考というか。
 日本選手権の5000mを独走したとき、最初の1000mを2分56秒で入った。昨秋も一度、トラックで独走したときにものすごい速いペースで入っている。そのあたりが自信になっていたのかと思ったが…。
「中国合宿ですね」
 福士は日本選手権後、中国の昆明で合宿を積んできた(具体的にどうよかったのかは、陸マガ8月号参照。400 m毎の通過タイムも掲載予定)。
 渋井陽子(三井住友海上)が5月に1万mで日本新を出したときも昆明で練習を積み、ボルダーで仕上げた。その渋井と昆明で、合宿期間が一部重なった。
「私が昆明をバスで出発するとき、渋井さんがホテルの窓から“日本記録出してこーい”って声をかけてくれました」
 レース中は、1000m以降は通過タイムからフィニッシュタイムを計算できないくらい自分を追い込んでいたが、フィニッシュするとすぐにいつもの福士モードに。
「出ちゃいましたぁ。産みました」
 これは、ワコールの前のトレーナーだった女性の方が、11月に出産を控えていること、永山監督の子供が三つ子であることなどから、レース前に出産のことを何度か話題にしていたため、自然と出た言葉だった。福士が見せるレースでの集中力は、その前後の平常心、リラックスぶりと表裏一体なのかもしれない。証明することはできないが、これまでの福士を見ているとそんな感じを受けてしまう。
 日本記録でなく、常に自己記録更新を狙うのが、福士のレースに対するスタンス。12日のローマ、20日のヘクテルと5000mを2本残している。福士のパーソナルベストは5月の大阪国際グランプリで出した15分04秒54(日本歴代2位)。渋井が中盤まで好ペースで引っ張りながら日本記録を更新できず、「なんで出さないんだ」と怒られたレースでもある。
 日本新を狙うとは言わないと思ったので、次のような質問の仕方をした。「昨日(パリ)のレースは1周平均70秒だったけど、1周2秒遅いペースをイメージしてみて、そのペースで12周もつと思いますか?」
「えー、私の場合、1周2秒遅くても(疲れ方は)変わりませんよ。常にしんどいです」
「じゃあ、“14”という数字は」
「“イーよっ”って感じですね。小学校のときの私の名簿番号なんです」
 ここで、永山監督からもひと言あった。
「5000mは2レースありますからね。“イヨイヨ”ってとこですか…」

注1
 上記本文中、「普段のレース前は吉田兄弟の“津軽三味線”を聞いてリラックスしている」と「セーヌ川の滑らかな水面(みなも)をイメージして、脚の運びの参考にした」の2カ所は、そういう事実はありません。お詫びをして訂正いたします。そのほかは全て、取材の過程で明らかになった事実です。
注2
 タイトルの「パリの日本人」は、1950年代か60年代にヒットしたミュージカル「パリのアメリカ人」をパクリました。


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