2002/7/12 ローマGL
ゴールデンガラ観戦&まあまあ取材記

ハンマー投は6位までが86cm差の激戦
最終6回目にも逆転の連続

 男子ハンマー投は3位のコノワロフ(ロシア)を除けば、昨年の世界選手権入賞者全員が参加する豪華メンバーだった。当初、18:30開始予定だったが18:00に早められた。直前の変更はあまり歓迎されるものではないが、朝早いわけではないので(記者は)対応できるし、他の種目と重ならないのは、集中できていいことだ。だが、この時間帯では観客は対応できない。スタンドの人影はまばらとなってしまう。観客席が大きいせいもあるのだろう。ともあれ、他の種目と重なっていないことで、史上稀にみる混戦をつぶさに観戦することができた。
 1投目。参加15選手中後ろから2人目、14番目の投てき者の室伏広治(ミズノ)は、79m90でトップに立った。2番目に記録がいいのはクリュクン(ウクライナ)で78m18。第3投てき者のスクヴァルク(同)が77m65。ウクライナ勢の好調さがうかがわれ、室伏の1人前のアスタプコヴィッチ(ベラルーシ)は、ファウルだったが80mの表示ボックスのすぐ手前にハンマーを落下させた。今年で39歳になる大ベテラン健在を印象づけられた。
 室伏と2位とは1m72の差があり、昨年優勝しているゲンのいい大会という見る側の先入観もあり、「相手はアスタプコヴィッチだけかな」と思ってしまった。しかし、この日はそんなに甘い勝負ではなかった。
 2投目に入るとウクライナの3人目(といっても投てき順は一番早い2番目)のピスクノフが78m56、アヌシュ(ハンガリー)が78m58と記録を伸ばしてくる。1投目にファウルだったが80m前後の投てきを見せていたアスタプコヴィッチが79m18と、室伏に次いで2人目の79m台を記録。室伏はラインの左外側に投げ出してしまいファウル。トップは変わらずで、「このまま逃げ切る可能性もある」と思ってしまったが、この日はそんなに甘い勝負ではなかった。
 3投目、ピスクノフ79m11、スクヴァルク79m70とウクライナ2選手が相次いで79m台をマーク。この時点で見ている側も、「今日の勝負はこのまま逃げ切れるものではない」との思いがもたげてきたが、それでも、室伏の勝利は疑わなかった。しかし、アヌシュが80m17とついに大台を突破し、室伏を逆転。室伏も79m93と3cm記録を伸ばした。2番目でベスト8の戦いに加わっていこうとしていたが、室伏のライバルともいえるシドニー五輪&エドモントン世界選手権を連覇したジオルコフスキーと、シドニー五輪銀の地元ヴィッツォーニ(イタリア)、99世界選手権金メダルのコブス(ドイツ)がベスト8に入れなかった。

 4回目、アスタプコヴィッチが80m17を投げ、室伏は3位に後退。8番目でベスト8に進んだキシュも78m81と調子が出てきたようだ。室伏は78m78と記録を伸ばせない。
 5回目は動きがなく、8位だったクリュクンが79m08を投げて7位に上がり、再度キシュが最下位に落ちたのがあったくらい。室伏はラインの左に大きく外れるファウル。3位をキープしていた。しかし、この時点でトップのアヌシュ(80m17)から8位のカルヤライネン(78m61)まで1m56cm差の中に8人がひしめく大混戦となっていた。
 そして、すごい展開を見せつけられたのが6回目だった。ベスト8に入ってからの第1投てき者、この時点で7位だったキシュが80m07と大台を超え、3位に進出。どうだっ、と言わんばかりのガッツポーズが出た。さらに、第4投てき者のピスクノフがで80m47でトップに立った。回転スピードが速いのが特徴で、99年世界選手権銅メダルの実績もある選手。しかし、その次の投てき者のアスタプコヴィッチが80m79でピスクノフをすぐに上回りトップに。次のスクヴァルクも80m27大台に乗せて3位に進出。
 3人連続で80mスローが出て、この時点で室伏は6位に後退していた。それでも、3人続いたのだから室伏も、と期待してしまう。だが、79m01と記録を伸ばせず、手応えのいいときにスタンドまで響く雄叫びは結局、この日一度も聞かれずに終わってしまった(小さいものはあったかもしれないが)。
1)80m79 アスタプコヴィッチ(ベラルーシ)
2)80m47 ピスクノフ(ウクライナ)
3)80m27 スクヴァルク(ウクライナ)
4)80m17 アヌシュ(ハンガリー)
5)80m07 キシュ(ハンガリー)
6)79m93 室伏広治(ミズノ)
7)79m36 クリュクン(ウクライナ)
8)78m61 カルヤライネン(フィンランド)

 上位5選手の下2桁に「7」の数字が並び、8人中6人が東欧勢。昨年、必ず2位以上の順位だった室伏にとっては、6位は昨シーズン以降最も悪い順位となる。しかし、1位から室伏まで86cmの中に6選手が入る状況を考えたら、ある意味しかたがないし、室伏自身、そういったレベルの高い勝負に身を投じることを楽しみにしていると、昨年来、何度も話している。逆転の連続で、「手に汗握る」とか「スリリングな」とか「緊迫した」という形容詞ではとても表現しきれないほどの戦いを見せつけられた。

Q.ものすごい激戦でしたが感想は?
室伏 スタートからよかったが、最後うまくまとめられませんでした。動きはよかったのですが。
Q.激戦に身を置くのは望むところ?
室伏 今年はそういう試合が多いんです。なかなか勝たせてもらえません。
Q.1m50の中に7人が入るのは珍しいのでは?
室伏 ずっとそういう試合ですよ。
Q.そういう状況は神経がすり減るという感じなのか、もう少し違う感じなのか?
室伏 その辺はわからないですね。人それぞれだと思うので。

 今季、海外でもすでに3試合をこなしている室伏。ともすれば、順位だけに目を奪われがちだが、選手にしてみれば単に順位だけにとどまらない、すごい戦いをしてきているのだろう。こちらの“すごい試合を見せつけられた”という感覚と、それはすでに何度も経験してきている選手の感覚に、違いが感じられた。
 2日後のハンガリー(ソンバトヘイ)では、アヌシュが82m97で優勝し、ローマではベスト8に残れなかったゲーチェクが82m45で2位。地元勢が1・2位を占めた。さらに、ローマでは7・8位だったクリュクンとカルヤライネンが3・4位と、5位(81m07)の室伏の上に来た。男子ハンマー投は、そういった戦いが続いている。

福士が5000mで日本新
レース終盤で世界のトップを従えての快走は壮観

 20時から他の種目も一斉に始まった。女子100 mB組にはあのインガー・ミラー(米)が出場。99年のセビリア世界選手権200 mに優勝したが、その後は不調を囲っていた選手。だが、体型的にも当時よりかなり太め。トップに立ちそうになった40m前後でどちらかの脚を痛めて減速。復活はならなかった。
 しかし、次の男子100 mB組ではコビー・ミラー(米)が10秒09(±0)で1位。女子のミラーはメキシコ五輪2位のレノックス・ミラー(米)が父親とバイオグラフィーに出ているが、男子のミラーは血縁関係は何も触れられていない。たぶん、この2人の間にはないのだろう。

 20:30からはいよいよ女子5000m。パリのときとは違って、今回はタイム計測に専念……しようかと思ったが、うかつにもスターターを見つけられなかった。音でスタートを押したわけだが、その誤差はフィニッシュでの正式タイムと比べることで、修正ができる。200 m毎の通過&スプリットタイムとレース展開、福士加代子(ワコール)のコメントは別建てで記事にした。
 3500m地点でトップに立つと「カヨコ・フクーシ、ジャポン」のアナウンス。永山監督によれば3回は通告があったという。4550m付近までトップを引っ張った。かつて、世界トップレベルのトラックレース終盤で、日本選手がトップを引っ張ったことがあっただろうか(順位的には世界選手権1万m3位の千葉真子やアトランタ五輪5000m4位の志水見千子らがいるが)。事実はともかく、見る当事者としては初めてであるから、まさに壮観だった。福士のよさは、たぶん、この選手がいい記録を持っているから、とかこの選手はメダルをもっているから、と遠慮しなかった点だろう。
 もちろん、それだけではない。このレースにはパリの3000mの反省点が生かされていた。パリでは日本新を出したとはいえ、前半(800 m〜900mあたり)で先頭集団から5〜7m引き離され、2番手集団のトップを引く形となってしまったのだ。後方に位置しすぎたため、先頭のペースアップに対応できなかったのだ。その点、ローマでは400 mを過ぎて一気に4番手に上がったり、3350mでも一気にペースアップしてトップに立った。
 ラスト450mで8秒引き離されたのだから、世界を相手に戦ったといっていいのか難しいところであるが、ゴールデンリーグの7位でポイントを獲得したのは紛れもない事実であるし、エゴロワ(ロシア)やロルーペ(ケニア)というビッグネームにも勝った。レース後はサボー(ルーマニア)とも挨拶し、声をかけてくれる選手も現れてきたという。
 今回はまだ、序盤でインコースに入ろうとすると「ノーッ!!」と言われたり、3350mで外側に出ようとしてもヒジが出てきて出させてくれなかったり、世界のあつかましさも経験した。そういったことを含めても、「ヨーロッパのレースは楽しい」と言える福士の姿がローマにあった。

男子100 mの直前に、今回の取材旅行最大の目的
ペティグリューとの“用事”が……

 次のトラックレースは女子100 mH。好調のディヴァース(米)を見たかったが、福士の取材を優先。オスロ、パリと見ていることだし…。
 その次が21:05からの男子400 mで、その次が21:15から朝原宣治(大阪ガス)の出る男子100 m。ここが問題だった。朝原のレースを見逃すわけにはいかなかったし、男子400 mのペティグリュー(米)にも用事があったのだ。オスロでは接触し損ね、ローザンヌ、パリは男子400 mがなかった。実は福士の取材のときすでに、“あるもの”を持ってミックスドゾーンで取材していた。そのまま、男子400 mの選手を待つことになるだろうと考えたからだ。
 ペティグリューとの用事をミックスドゾーンで済ませて、すぐにスタンドに戻って男子100 mを見る。繰り返すが、朝原のレースを見逃すわけにはいかないので、場合によってはペティグリューへの“用事”は次回に持ち越しとなるのもやむを得ないと考えていた。だが、この用事は今回の取材旅行最大の目的の1つでもあったのである。
 400 mは一度フライング。時間がないこちらとしては、ついつい悪態をつきたくなる。たぶん「バッカヤロー」のひと言も口から出ていたと思うが、周囲にその意味を理解する人間はいなかったはずだ。外人が聞いても「オー、ノーっ」くらいにしか聞こえていないだろう。身勝手な推測だが。
 2回目でスタート。当方としてはペティグリューに勝って欲しい。できれば、機嫌のいい方が“用事”はスムーズに運ぶと思われた。しかし、勝ったらインタビューやウイニングランに時間を要し、ミックスドゾーンに来るのが遅くなってしまう。複雑な心境だったが、どちらでもいいと開き直ることもできた。前半で大きく引き離されたペティグリューは終盤の追い上げもいまひとつで、45秒32の6位。オスロで見た感じでは、もう少しいくと思っていたので残念。ここからが難しかった。どのタイミングであきらめて、スタンドにダッシュするか。
 と心配する寺田をよそに、ペティグリューはすぐにミックスドゾーンに。6位と敗れたためか、話しかける外国人記者もいない。チャンスや(なぜか関西弁)。
寺田 Mr. Pettigrew?
ペティグリュー Yes.
寺田 Do you remember this?
(と、トレーナーにプリントされている絵柄を示す)
ペティグリュー Yes. Of course.
寺田 Can I take your photo with this?
 という経緯で撮った写真がこれである。
 もうおわかりかと思うが、ペティグリューは91年の世界選手権東京大会優勝者。その大会の200 mで初の世界タイトルを獲得したマイケル・ジョンソン(米)とは同じ1967年生まれ。東京後はジョンソンとは対照的に、個人種目のアメリカ代表になれない年月が続いた。しかし、くさることなく97年の世界選手権で個人種目代表に復帰し、99年世界選手権と2000年のオリンピックにも出場。今年で35歳だが、5月の大阪国際グランプリに優勝と、まだまだ頑張っている。
 今回、防寒用に1枚だけ長袖を持参したのが、この東京世界選手権トレーナーだった。ペティグリューにとっては唯一の世界タイトルを取った大会。快く応じてくれると考えるのが普通だが、実は4×400 mRではアンカーとしてトップでバトンを受けながら、400 mHのアカブシ(英)に抜かれる失態を演じ、アメリカでは「400 m優勝者が400 mH選手に抜かれるとはなんだ」と、ずいぶん叩かれたらしい。もっとも、このときのアカブシは異常に強かったイメージがある。そんな経緯も聞いていたので、快諾してくれるかどうか心配だったのだ。

寺田 東京の世界選手権は今でもよく覚えている。4×400 mRの件はかなり批判されたらしいね。
ペティグリュー まさに、天国と地獄を見たよ。でも、あの大会があったから、その後10年も頑張れているんだ。
寺田 このマスコットの名前は覚えている。
ペティグリュー ええっと、アスリスターだったかな。デザインはイマイチだけど、オレにとってはそんなこと、どうでもいいね。とにかく、思い出に残っているんだ。
寺田 あのとき、200 mで優勝したジョンソンは引退したけど、あなたはいつまで走るのか。
ペティグリュー 2007年に大阪で世界選手権があるかもしれないと聞いたから、それまでは頑張るよ。
寺田 日本のファンはいつでも、あなたを歓迎すると思うよ。

 なんて会話を交わせたらいいかなと考えていたが、いかんせん、朝原のレースが迫っている。一応、最後の「日本のファンは…」の部分だけは言って、すぐにその場を去った。果たして、男子100 mのスタートに間に合うのか……。

朝原が豪華メンバーの中で6位
最も世界に近づいたと実感できたレース

 男子100 mのスタートに間に合わせようと、スタジオ・オリンピコの階段を駆け上る日本人がいた……なんて描写はどうでもいいのだが、とにかく、プレス席の最もフィニッシュ地点に近く、最も高い位置に行くことができた。間に合ったのだ。
 すぐにスタート……と思いきや、1回目はスタートのやり直しで、2回目はフィールド種目の歓声と重なってグリーン(米)が「待ってくれ」と手を挙げる。階段をダッシュした当人はやや拍子抜けだが、得てしてそんなものである。3回目、4回目とフライングがあり、なかなかスタートが切れない。
 5回目にやっとスタート。5レーンのグリーンがフライングかと思えるほどの飛び出し。リアクションタイムは0.115秒。2番目に早かったウイリアムズ(米)が0.141秒だから、0.026秒もの違いがある。フライングと見えるのも道理だ。ちなみに1レーンの朝原は0.142秒で3番目に早かった。
 そのままグリーンがリードするかと思えたが、20〜30m(あるいは40m)の加速段階は4レーンのモンゴメリー(米)と2レーンのウイリアムズが差を縮めた。しかし、中間点付近からまたグリーンが相対的な加速を見せ、モンゴメリー以下を引き離して終盤も危なげなく逃げ切った。9秒89(+0.9)と今季初の9秒8台が出た。
1)9秒89 グリーン(米)
2)9秒95 モンゴメリー(米)
3)10秒00 ウイリアムズ(米)
4)10秒05 コリンズ(セントキッツ・ビネス)
5)10秒07 フレデリクス(ナミビア)
6)10秒15 朝原宣治(大阪ガス)
7)10秒17 オビクウェル(ポルトガル)
8)10秒22 ドラモンド(米)
9)10秒23 ボルドン(トリニダードトバゴ)

 朝原は、本人が「なんでやろ」と首を傾げたパリとは違い、リアクションだけでなくスタートもよかった。序盤はグリーンに次いで2番目を走っていたのは間違いない。ビデオでも確認できている。1つ外側のウイリアムズの加速がよかったので、中盤から後退したように見えたが、実際はそれほどでもない。グリーン、モンゴメリー、ウイリアムズの3人とは明らかに差があり、3レーンのコリンズ(米)、5レーンのフレデリクス(ナミビア)も前にいたが、オビクウェル(ナイジェリア)とドラモンド(米)の「負けてはいけない相手」(朝原)にはきっちり勝っている。1位のグリーンとは0.26秒差だが、コリンズ、フレデリクスとは0.10秒以内の差。
「今年、調子のいいメンバーが勢揃いしたレース。去年のエドモントン(世界選手権)の準決勝もすごかったですけど、それに匹敵します。その中でまあまあ戦えたかな、という感じです。(過去のレースと比べても)戦えている感触はあります」
 朝原が過去、世界に近づいたレースというと、準決勝で5位(あと1人で決勝進出だった)96年のアトランタ五輪がすぐ思い浮かぶ。翌年のアテネ世界選手権は準決勝8位、昨年のエドモントンも準決勝7位と、やや遠ざかった。あとは、GP。10秒08と当時の日本新を出した97年ローザンヌはB組の3位。10秒02の昨年オスロが4位で、トップはモンゴメリーの9秒84、ボルドンが9秒88だった。
 選手権形式では96年アトランタ五輪、GP形式では昨年のオスロが最も世界に近い位置で走ったと言えそうだが、今回の走りはそれらを上回るかもしれない。オスロとは走りを変えている(陸マガ8月号参照)ので比較は難しいが、以下のコメントから朝原自身の感触もよかったことがわかる。
「スタートはよかったですね。ボンと出られました。前半は“腰からの動き”(これも陸マガ8月号参照)ができています。中盤で悪くなっていますが、後半持ち直している。タイム自体はめちゃくちゃいいわけではありませんが、走り自体は悪くないと思います。中盤は、スタートで上手くいった加速が1回止まってしまった感じです。ギアチェンジがスムーズにできなかった。ウイリアムズに付いていけばなんとかなると思っていましたが、やっぱり速かったですね」
 パリで狂った走りをザグレブでは立て直せなかったが、その原因もはっきりしている。予定より1レース遅れたが、ローマで完全に修正ができた。朝原の9秒台へのチャレンジが再度、加速段階に入った。 (つづく……はず)

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