2002/7/12 ローマGL
15分02秒08

5000m日本新の福士レース展開とコメント
「“サボーさんが行かないのなら、私が行くわ”って気持ちでした」

●レース展開
 福士の200 m毎の通過タイムと200 m・400 m・1000m毎のスプリットはの通り。タイムだけではわからない福士のレースの中での“動き”は、以下の通りである。
 出場選手は総勢27人と多め。スタート直後は集団のやや後方で、その位置だと集団が前後に分裂するようなケース(パリの3000mがそうだった)に対応できないと、400 mを過ぎて外側から前に進出し、550m付近で3〜4番手のポジションに入り込んだ。ペースメーカー、サボー(ルーマニア)、その後ろに福士ともう1人のペースメーカーらしき選手、という展開。2000mが予定通り通過できないと判断したのか、1900mからペースメーカーが一気にリードを奪う。それに伴い何人かがペースアップしたため、福士は8番手に下がる。
 しかし、2000m通過後にペースメーカーの1人がやめ、1周のスプリットが74秒に落ちる。福士は集団の中にポケットされる形で、そのペースから抜け出せない。3000m通過は9分03秒4と日本記録、さらには14分台を出すにはぎりぎりのところ。日本ではめったにないハイペースだが、動きに余裕があると見て取ったスタンド最前列の永山監督はトップに出るように指示。
 福士は出ようにもなかなか出られなかったが、3350m付近でちょっと後ろに下がって外側に出ると、3500mではトップに立った。74秒前後に落ちていたスプリットを、72秒台に引き上げた。ゴールデンリーグのレース終盤で、サボー、マサイ(ケニア)、アデレ(エドモントン)らの強豪を、約3周にわたってリード(写真)したばかりでなく、昨年の世界選手権金メダリスト・イェゴロワ(ロシア)を振り落とした。場内には「カヨコフクシ、ジャポン」のアナウンスがこだまする。
 残り500mを切って上述の3選手らに引き離されたが、4位のマロット(ケニア)以下とは10m前後の差でフィニッシュ。ラスト1周は67秒5で、スローペースだった春季サーキットで見せたラスト1周のタイムを上回った。

●福士加代子コメント
「スタートする前は、3000mまで付いていけばどう転んでも出ると思っていました。最初、4番手につけたあたりでは、ラビットもいるし“これはいただいた”と思ったのですが…。2000mくらいから楽になって、これはおかしいかな、と。ペースが落ちているのかもしれないと感じましたが、感覚だけで、タイムを計算できていたわけではありません。
 3000mで監督に“前行けー”と言われて、出ようとしたのですが、ポケットされてなかなか出させてもらえません。前に出ようとすると、ヒジが出てくるんです。あの混戦はどうにも出ていけません。これからは、くさい臭いでも付けて走りましょうか。“もういいっ!”と思って下がってから外側に出ました。“サボーさんが行かないのなら、私が行くわ”って。ラビットになるのも仕方ないかと。トップを走るのはちょっと気持ちよかったです。なぜか嬉しくなりました。“ジャポン”のアナウンスも聞こえていました。
“ラスト1周で来る”と思ってはいましたが、ポーンといかれて付けなかったときは、“またこれだよ、いつもこうだ”と思い知らされました。
 記録は残り1000mで“これは無理だ”と思って、残り1周ではタイマーが見えませんでしたが“もう無理”と思っていました。フィニッシュしたときは(優勝タイムの)14分53秒で止まっていましたから、“逃したな”と。
 (5月の大阪グランプリで日本記録を逃したときに、ペースメイクした渋井さんには)“日本記録を出してこい”と言われていたので、“ぎりぎりだけど出ました”と報告できます。○○の差で出せました。これでなんとか、嫌われずにすむかな」
レース直後の福士写真

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