2002/7/2 アスレティッシマ
朝原、短距離種目GP史上最高の2位!!
宿敵ザカリに快勝、10秒12でB組1位
パリGL出場も決定

 朝原宣治(大阪ガス)が2位と、グランプリ短距離種目では日本人最高順位を記録し、日本男子100 mのパイオニアとして、その競技歴にまた新たな1ページを記した。
 男子100 mB組は19時05分のスタート。序盤で早くもリードすると、中盤で明らかに抜け出した。
「抜け出て焦ってしまいました。記録が出せるんじゃないかと思ったのと、後ろから来られるかな、と思ったのと…」
 終盤は1つ内側のザカリ(ガーナ)だけが朝原を追走している。
「負けるとしたらザカリだと思っていた」
 昨年のエドモントン世界選手権準決勝で朝原と同じ組となり、4位で決勝に進出した選手。朝原が「ザカリに勝てれば決勝進出可能」と目標にした選手であり、中盤でザカリを意識するあまり走りを狂わせてしまった相手だ。10秒04がベストだが、力は明らかに9秒台。6月26日のルッツェルンでも朝原を抑え、4日前のオスロ・ゴールデンリーグでもC組とはいえ、朝原、ナーゲル(南アフリカ)とともに“黒人選手以外で初の9秒台”候補、オーストラリアのシャービントン以下を一蹴している。
 しかし、追い込まれた感じはしなかった。国内のレースを見ているような感覚にさえ襲われた。だが、これはB組とはいえ、れっきとしたグランプリTのレースだ。
 ただ、最後の数歩がちょっと、という感じ。
「最後の5歩くらいでしょうか、急ぎすぎて接地のタイミングがおかしくなり、空回りしてしまいました」
 フィニッシュタイマーは10秒12で止まった。風は+0.1mで公認。すぐにはわからなかったが、正式計時も10秒12。以下のように朝原にとって5番目の記録。
10.02(+2.0) 01年7月 オスロGL決勝4位
10.05(+1.4) 02年6月 日本選手権決勝1位
10.08(+0.8) 97年7月 ローザンヌGP・B組3位
10.11(+1.5) 02年6月 日本選手権予選1位
10.12(+0.1) 02年7月 ローザンヌGPB組1位

(昨年のエドモントン世界選手権2次予選の10秒06は風速計の故障で非公認となったが、たぶん風は公認範囲内だった)。
「フィニッシュしたときは“0台かな”と思いました。1台後半とか2台の感触ではなかったですね」
 朝原はそのまま走ってスタンド最前列の観客たちとタッチ。
「手を出していましたから」
 それができたのも、1位でフィニッシュしたからだ。10秒02だった昨年のオスロは4位、10秒08の97年ローザンヌは今回とB組でも3位だった。
「B組といっても、今日のメンバーなら気持ち的にはA組と変わりません。その中でトップを走るのは気持ちいいですよ」
 前日までスタートリストのA組に名前があったモーリス・グリーン(米)とB組のアト・ボルドン(トリニダードトバゴ)が欠場し、メンバーが入れ替わった。その結果、B組では朝原が10秒02で持ちタイムがトップとなった。しかし、チェルノボル(カザフスタン)は昨年の東アジア大会優勝者で、朝原はそのとき3位。ザカリ(ガーナ)は前述の通り。10秒0台の選手が4人、10秒1台が3人という顔ぶれは、世界大会の準決勝ともまたひと味違うが、トップでもフィニッシュできれば最下位に転落する可能性もある。微妙な緊張感を強いられるメンバーだった。
「パリ(7月5日のゴールデンリーグ)のレーンが2つ、まだ空いているんです。今日の結果次第で出られるかもしれません」
 ザカリは「朝原がA組だったら10秒を切れた」と言った(そのときの写真)が、そのA組では1位のオビクウェル(ポルトガル)が10秒09で2位のモンゴメリー(米)が10秒15。この結果で即、朝原がアスレティッシマで2番目の力があった、とは言えない。A組は21時30分スタートの予定だったが、時間は多少後ろにずれ込んでいた。気温もさらに低くなり、風も−0.3m。B組よりも明らかに条件は悪かったのだ。だが、タイムレースという形態をとっている以上、朝原の2位は動かしようのない事実。
 9秒台への自信が膨らんだ?の質問に対し、大きく頷いた朝原。大会終了後、つまり深夜の12時前後に、朝原のパリ・ゴールデンリーグ出場が決まった。ただ、本人の感触では、12日のローマあたりがピークになりそうとのこと。

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