ATSUYAなメール
その19
2005年5月30日

赤蜻蛉の飛翔。

こんばんは。

インターハイの各都道府県予選がたけなわのきょうこの頃、
いかがお過ごしでしょうか。
きょうは自宅に陸マガの年間購読の継続申込書が届いていました。
もう、そんな季節なのですね(意味不明)。

本日(5月30日)のK新聞運動面には、兵庫県高校総体の記事が満載でした。
陸上競技は最終日。3種目に兵庫高校新記録が誕生するなど、
なかなか盛況だったようです。
円盤投げの蓬田和正選手(姫路商)の57m58に注目が集まるところではありますが
(彼はなんとなく、今売り出し中の西武ライオンズのおかわりくんこと、
中村選手に似ているような気がします。好記録が出た後の試技で、
スタンドから「おかわり!」と叫ぶと、
もっといい記録が出そうな気がします。余談ですが…)、

女子砲丸投げで13m49をマークして優勝した我が母校の後輩、
蛭田伶菜選手のコメントに、思わず涙が出ました。
K新聞によると、蛭田選手は「腰のけがを再発させ、
やっと立てるようになったのが2日前」だそうです。
会心の一撃を放った投てきについて、F記者は
「サークルに入ってからの記憶がないほどの痛み。満身創痍だった」
と記しています。従来の記録を30cmも更新する13m48。
対校得点争いで女子の部6位を決定づけるプット。
ここで、蛭田選手は話します。
「優勝して表彰式で部旗を掲げるのが目標だった」

兵庫県高校陸上界では、県王者(女王)の栄光をたたえ、
表彰式で部旗を掲揚します。選手も観客も補助員も審判も新聞記者もみな、
手を止めて起立し、部旗に注目します。
その数十秒間、競技場は覇者のためだけに存在します。
その素晴らしい瞬間に、白地に赤蜻蛉(トンボ)の旗が翻ったと思うと、
懲戒免職も覚悟で仕事を投げ出し、自宅から徒歩十分少々の
ユニバー記念競技場に、なぜ行かなかったのかと悔やまれます。
愛校心は皆無ですが、愛部心ならD先生にも負けたくない私にとっては、
残念で仕方ありません。

かつて、同じように最終日の円盤投げで大山圭悟が逆転勝利し、
同じように対校得点で6位に食い込んだ瞬間を思い出します。
あの年は、兵庫高校新記録が4種目で誕生しました。
前年6位の我が校は、われわれの代で力が落ちたと指摘され、
主将だった私は来る日も来る日も点数計算をしていました。
そんな鬱憤を晴らすV2と6位確保、さらにはフィールド制覇。

最優秀選手の男子は高校記録を更新した報徳の村松明彦選手、
女子はのちのマラソンランナー、山本佳子選手でした。
寺田さんがすでに取材者として活躍されていた神戸インターハイの年、
このユニバー競技場で活躍した選手の中から、
バルセロナ五輪の小鴨由水選手(明石南、800m6位)や
広島アジア大会組の穂木宣昭選手(舞子高、110mH2位)や
ユニバーシアード福岡大会組の森川貴生選手(報徳高、1500m2位&5000m3位)、
そして1500mの高校記録をつくった濱矢将直選手
(西脇工、1500m&3000m2冠)と木戸真樹選手
(報徳、1500m6位、5000m2位)らが羽ばたいていきました。

その競技場の片隅でひっそり、部旗の掲揚に涙していたのが、
まだ髪の毛がふさふさしていた17歳の私でした。
胸に「〇〇高校」と入っていないユニホームのカッコよさ。
白地に赤蜻蛉というカッコ悪さ。いずれにしても、
あの瞬間に私の青春はピークを迎えたといっても過言ではないでしょう。
あれから17年も過ぎました。私の青春は勢力を弱めた温帯低気圧
のように細々と続いています。木戸くんはヤマダ電機のコーチ、
山本さんはマラソン解説者、400mH大会新Vの澤野くん、5位の志方くん、
砲丸投げ6位の西盛さんらは教師になり、大山は砲丸を科学しています。

話は変わり、もうすぐ日本選手権。小坂田淳のベテランらしい走りに期待しつつ、
この意味のないメールを終わりにしようと思います。
頑張れ、小坂田! 西落合中出身の意地を見せろ!

それでは、また。


K新聞社社会部 O原A也


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